ネパール大統領官邸に招待される

2023年5月29日

2010年7月26日、パイロットババ猊下一行がネパール大統領官邸迎賓館に国賓として招待される。
記念撮影の時猊下は真っ先に私を呼んでくださったので感激しました。
写真向かって右が「インド2000万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛される我が師、マハヨギ・パイロットババジ猊下
中央が初代ネパール大統領 ランバラン・ヤーダブ氏
写真向かって左が私 スワミ・アディティヤナンダ・ギリ・Swami Adityananda Giri

我が師,マハヨギ・パイロットババジ猊下一行は、ネパール政府に国賓として招待され、私も猊下の直弟子として同行を許されました。
一行にはチェトナマタジや、シュラッダマタジのように「公開サマーディー」成就者がいらっしゃいましたが、猊下は真っ先に私を大統領に紹介してくださいました。

猊下は大統領に「彼は日本から来たスワミ・アディティヤナンダ・ギリです」と紹介してくださいました。
スワミという敬称は、本来、神と高僧にしか使用できないものです。
猊下は「ヨギとかスワミという敬称は、解脱したマスターしか使えない」と著書にもお書きになっています。
実際、私が猊下にお会いした当時、ババジ猊下のアシュラムでスワミと呼ばれる存在は猊下お一人だけでした。

大統領官邸迎賓館での記念撮影の折も、猊下は大きなお声で私を呼ばれました。一番最初に私を呼んでくださったので大変感激いたしました。

猊下は、私をサンカルパヨガ・ファンデーションの代表に推挙指名してくださいました。
その折、「スワミとヨギ」の名乗りを認可してくださり直筆のサインをくださいました。
以前フェイスブックページに掲載したものです。

因みに、サインと写真は別々のものをコピーして合成したものです。というのは、猊下のサインには私だけが唱える秘密のマントラが書かれているので、その部分は掲載できないのです。

ファンデーションと言っても、私は組織が好きではないので、先ずは少数の弟子と信者のみを指導する道を選びました。
達磨大師は、生涯慧可という一人の弟子しか取らなかったと言われています。
その理由は解ります。

それなのにパイロットババ猊下は私をスワミとして紹介してくださったので、大統領からのお布施には「スワミ・アディティヤナンダ・ギリ JAPAN」と書かれていましたので感激しました。

猊下はこれまで、私個人なら面会も叶わぬようなインド政府の高官や裁判所判事など、様々なVIPを私に紹介してくださいました。
その理由は、私のエゴを満足させるためではありません。
猊下やヨグマタジの主導する「ワールドピース・キャンペーン」のワークをするためです。

ネパール国内の移動中は、常に武装したセキュリティーポリスの警護がついていました。
ネパール政府のご配慮にもこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。

因みに、インドネパール行きの発端は、故稲葉耶季元那覇地裁裁判官からのお願いによるものでした。
稲葉様は2018年1月14日午後4時54分に、この世界でのお役目を果たされ光の世界へ戻られました。
浄土往生を祈ります。南無阿弥陀佛

稲葉裁判官は日本人で最初の女性裁判官として有名です。
お父上は渋谷にある、あの有名な「山手教会」の平山牧師でした。
クリスマスの時期には必ずと言ってよいほど、山手教会のミサが放映されます。

かつて山手教会の地下には、「渋谷のジャンジャン」というアンダーグラウンド芸術を発信してきた超有名な小劇場がありました。

稲葉様は、那覇地裁裁判官を務めた後、横浜地裁の裁判官に任命されましたが、沖縄への愛が断ちがたく、一旦裁判官を退官され、琉球大学の法科大学院の教授として沖縄に戻られました。その後、裁判官に復帰されました。
稲葉様は在官中、パラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの『あるヨギの自叙伝』を読んで感動して、スピリチュアリズムの世界に入りました。

現役の裁判官でありながら、どこに行くにも修行者の着る白衣を着ていました。
たまたま行きつけのレストランで知り合った、稲葉耶季様の書記官をしていた人の話では、裁判所にも白衣で通われたそうです。

ある時、私は稲葉様にババジ猊下のお話しをいたしました。
稲葉様は猊下に大変興味を持たれ「是非、猊下の御本を読ませてください」と私に尋ねました。
私は『ヒマラヤへの扉』をお貸しいたしました。

御本を返却する時、耶季様は興奮しながら私に仰いました。
「ギリさん!私はパラマハンサ・ヨガナンダ・ギリの『あるヨギの自叙伝』を読んでとても感動しました。魂が揺さぶられました。ヨガナンダ・ギリのおかげでスピリチュアリズムの世界に入りました。
だから、この世で一番素晴らしい本はずっと『あるヨギの自叙伝』だと思ってきました。」

「しかし、パイロット・ババジ猊下の『ヒマラヤへの扉』を読んでその考えが変わりました。
『ヒマラヤへの扉』程すごい本は初めて見ました。
マハヨギ・パイロットババジ猊下ほど素晴らしい覚者はこの世界に存在しません。無理は百も承知ですが、是非、猊下に私を紹介してください。お願いします」そう仰って、私に頭をお下げになりました。
このような次第で、私は稲葉様をお連れして、インドに行きました。
それからネパールに行くことになり、ネパールのポカラという町でパイロットババ猊下の信者さんが経営するホテルに宿泊しました。

そのホテルのオーナーがある日、突然、私達にこう言いました。
「猊下はネパール史上最大のヤッギャ(護摩法要)を執り行っている。どうやら、来年日本で大きなクライシス(破局)が起こるらしい、それを阻止するためのヤッギャなのです」
私はオーナーに尋ねました「どのようなクライシスが日本に起こると猊下は仰っているのですか?」

彼は答えました
「私もそこまでは知りません。ババジ猊下に尋ねましょう」

そこで私と稲葉様は、猊下に、日本に起こる破局とは何なのかお尋ねしたのです。それは2010年7月30日のことでした。

猊下のお答えは驚くべきものでした。
「来年、東日本に大地震が起こり、原発の事故が起こる。
自然を収奪し、環境を破壊し続ける人類の暴虐に対する自然のリベンジだ。その被害を最小限に留めるために今回のヤッギャは行われているのだ」

稲葉耶季様は興奮して「ギリさん!原発事故が起こるのだって!」と日本語で叫ばれました。

原発がメルトダウンすれば、即座に東京を含む東日本は壊滅します。化石燃料の事故なら、どんな大事故でもせいぜい半年くらいで収まりますが、原発事故の恐ろしいところは、何万年、何十万年単位でエネルギーが持ち、放射性物質を拡散し続けることです。

水蒸気爆発が起これば放射性物質が大量飛散するそうです。
それも1年や2年ではなく、何万年、何十万年も起こり続けるのです。その間、地球は汚染され続けます。
やがて、地球は生命体の住めない星になっていきます。
悪業を作った人類は当然地球上から抹殺されるかもしれません。

そのうち放射性物質に耐性のあるバクテリアが生まれ、そのバクテリアが知的生物に育つまで一、体どのくらいの年月が必要なのでしょうか?

我々は今すぐ目覚めなければなりません。母なる地球を大切にしなければなりません!
自然保護は右とか左とかの問題ではありません!
ヒマラヤのアヴァター様達やババジ猊下やヨグマタジのような偉大なサンカルパ・サマーディーヨギがご苦労されて原発事故の被害を最小限に抑えても、総ての人類が目覚めない限り破局は必ず来ます。だから我々は今こそ覚醒しなくてはなりません!

或る物理学者がこんなこと書いていました。私の記憶なので正確ではないのですが、大体こんなことを書いていたように思います。

「福島で原発がメルトダウンしました。メルトスルーも発生しています。これは絶望的な状況です。
メルトダウン及びメルトスルーしながら、水蒸気爆発を起こしていないのは奇跡です!本来なら東日本が壊滅し、いずれ、日本は壊滅したはずだった。ところが不思議な力が働いているようで、未だに水蒸気爆発が起こりません。
建屋が「水素爆発」しただけです。
福島では奇跡が起こり続けています」

その奇跡が起こることを、我々は8ヶ月前に知らされていました。
私はこの話を迂闊に公表出来ないと感じました。
日本ではこの手の話を公表しても、相手にされない状況なのは解っていました。
狂人扱いされるのは目に見えていました。
従って、一部の友人、知人にしか知らせませんでした。

でも、インド、ネパールの場合はまるで状況が違います。
インドにはスピリチュアル専門のテレビ番組がたくさんあります。多くのマスターがご自身のテレビ番組をお持ちです。
マハヨギ・パイロットババジ猊下もご自身のテレビ番組をお持ちです。
猊下は原発事故が起こる前にそれが起きることを予言し、事故の被害を最小限にするためのヤッギャを行う旨を、ご自身の番組で発表されたからとの話も聞きました。
それなら、3.11福島原発事故以前はGoogleでpilot babaと検索しても100万件前後だったのが、3.11福島原発事故以降、突然1000万件から2000万件台に急増した訳もうなずけます。

そして八ヶ月後、2011年3月11日に福島原発事故が発生しました。
猊下の予言どおり福島原発はメルトダウンしました。
その後メルトスルーもしました。
本来なら、日本が壊滅するような大事故にも関わらず、奇跡が起こり続け、未だに日本は壊滅していません。

先ほど申しましたように、3.11以後、世界中のスピリチュアリストにマハヨギ・パイロットババジ猊下の予言とシッディー(=神通力 悉地と音写)による原発事故抑制のニュースが拡散しました。

言うまでもなく、日本ではこのニュースは全く無視されています。
私は今までアンダーグラウンドで活動してきました。
従って、公開性の高い、フェイスブックやラインを一切使ってきませんでした。
友人、知人にはこのニュースを、メールでお知らせするしかできませんでした。
しかし、内容が内容なので、私の友人たちでさえそう簡単には信じてくれませんでした。

猊下の『ヒマラヤへの扉』の中で、「このまま行けば世界にクライシスが起こる」とお書きになっている箇所があります。

ヒマラヤのアヴァター様たち、ババジ猊下、世界中の覚者様達の法力でそのクライシスは回避されましたが、猊下は
「我々がクライシスを回避するだろう」とはお書きになっていませんでした。
如何にも猊下らしい奥ゆかしさです。

そのせいで猊下の予言が外れたように誤解する人も多かったのです。猊下を信頼し、ご縁のある方だけが誤解しませんでした。

3.11の原発事故発生と、未だに日本が崩壊していない事実を見て、私はヒマラヤのアヴァター様たち、及び世界中にいらっしゃる多くの覚者様達の祈りの力が、実際にあるのだと確信しました。

福島原発事故の予言の正確さと奇跡が起こり続けている現状を見て以来『ヒマラヤへの扉』に書かれたクライシスは、ヒマラヤのアヴァター様たちと、猊下を始めとする世界中の覚者様達のサンカルパ(意思)で回避されたのだと私は確信しています。

猊下は常々私に申されました。
「アディティヤナンダ・ギリよ!この世界にサンカルパ(意思)ほど強い力はない。サンカルパの力で総てが達成されるのだ。信仰もサンカルパの一種なのだ」

信仰もサンカルパの一種だと聞いた時、私のサハスラーラから第一チャクラまで光の奔流が走りました。
猊下のお言葉は、しばしば光となって私の身体を突き抜けます。「愛と気づきの道」の大切さを痛感させられた瞬間でした。

原発事故発生の数年後、稲葉様は「食べない、死なない、争わない」というタイトルの著書を出版されました。
その中で、マハヨギ・パイロットババジ猊下とヨグマタジの「公開サマーディー」を、「呼吸さえしないで一定期間過せる人もいる」(P64)と紹介しています。

世界に光明をもたらし、世界平和を成就するための「証しの行」である。肉体は一旦死ぬがキリストのように復活する」と書きたいところですが、当時、稲葉様は那覇簡易裁判所の所長代行をしていました。現役の裁判官です。

現役の裁判官ですから、「公開サマーディー」のことを私のように書けば、「カルト信者」の烙印が押されるかもしれません。あちこちからバッシングを受けて大変なことになるでしょう。
まして、「福島原発事故の被害を最小限にするためのヤッギャ」については、書きたくても書けなかったのでしょう。

この点、インド、ネパール、ブータン、チベット等の「スピリチュアル大国」は日本とは違い、こうしたニュースを真剣に取り上げます。
物質文明に侵された日本人の一人として言わせてもらいます。「羨ましい限りです」

ただ一つ、申し上げたいことがあります。

ババジ猊下のような崇高な存在に触れる時、人は崇めると同時に無意識的に恐怖を覚えるものです。
何故ならババジ猊下のようなサンカルパヨギは、我々のマインドを止滅させるからです。貴方からマインドが落ちてしまえば、貴方は貴方ではなくなります。マインドの死は肉体の死と変わりません。だからマインドは無我を恐れます。
マインドの闇に執らわれると畏(おそ)れが生じます。
よく畏敬の念と申しますが、畏敬という字は畏(おそ)れ敬うと書きます。言い得て妙ですね。

マインドは狡猾ですので、様々の理由をつけて覚者から逃げようとします。覚者を認めることで、自分を卑小な存在として認めてしまうと勝手に思い込むようです。

私自身、猊下にしっかりと向き合えるようになるには少し時間がかかりました。
ネガティブな時は、疑いのマインドが出現しました。
こうしたマインドは判り易いので、それから自由になることは容易でした。

しかし、難しかったのは「猊下といると満たされる。だからもう十分だ。旅に出よう」と思うようなマインドのトリックです。
或いは、「この修行は私にはまだ早い」というのも同じです。
私の魂が真剣に覚者を求めているのなら、猊下と離れたくは無いはずです。
それなのに、マインドは逃げようとするのです。

このマインドのトリックを見抜くのに少し時間がかかりました。
ただそうなる理由は明確でした。
マインドは無我を恐れます。
マインドが無くなれば自分が消えると思い込むからです。

しかし、それは違います。無我無心の状態は総てを失うのではなく、反対に総ての宝を頂くのです。
マインドというゴミを捨てれば、我々は神であり、我々が神で出来ていることを知ります。

瞑想者はこうしたことを頭では解っています。
しかし、この姿勢を首尾一貫させることは意外に難しいのです。
今だから白状しますが、実は私のマインドは今まで何度か猊下から逃げようとしました。

理由の一つは、かつてのマスターである「和尚ラジニーシ」への愛が大きかったことです。
1988年12月25日まで、バグワンと呼ばれていた彼にOSHO(和尚)という名を提案したのは私です。
世界で最も知名度が高い神秘化の名前を提案し、それを受け入れられたのですから、当然大好きになりました。
だから新しいマスターに出会うことが、まるで裏切り行為になると私は勘違いしていたのでした。

しかし、猊下が「愛は永遠だ。それで良い!」と仰った時に、何かが大きく変わりました。
愛だと思っていたものが執着だと悟ったのです。

そう言えば、OSHO(和尚)も言っていました。
「私が死んだ後、運良く、貴方達が新しいマスターに出会ったのなら、そのマスターに即刻師事しなさい。貴方が新しいマスターと出会い、花開けるならそれは私の喜びでもある」

普通の人間の親でも「私が死んだ後、決して他の人の養子になってはいけません。餓死してでも一人で生きなさい」
などとは言いません。言えば鬼畜です。

まして、マスターがそんなことを言うはずがありません。
マスターは、新しいマスターの出現を手放しで喜びます。
このことを理解した時、私はOSHO(和尚)に感謝し、別れを告げて猊下の弟子になりました。

しかし、猊下のようなマハヨギ(偉大なるヨギ)のテストは難しいのです。マインドを殺すためのレッスンは私のような未熟者には結構厳しかったものです。
その上、「公開サマーディー」では、一旦、肉体も死ぬわけですから、マインドだけではなく肉体も死ぬわけです。
だから無意識的に猊下を畏れていたのでした。
このことを気づくのに、少し時間がかかりました。

振り返って見れば、猊下は総てを洞察され、私に様々な試練を与えてくださいました。
これからは、猊下の恩徳に少しでも報いる為に「世界平和」の願いをご縁ができた皆さんにシェアしていきたいです。

Om Shanti Shanti Shanti Om(愛と平和を)

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